三次元に捉われない

前回の記事で「頑張るってなに?」ということを

述べさせてもらいました。

 

今回は、その話の内容にも関連する

『「三次元」に捉われない』ということを記事にさせていただきたいと思います。

 

 

前回の話の中で、

「面倒臭いと認識するから面倒臭いことが生まれる」ということを

述べさせてもらいました。

 

面倒臭いとか辛いと感じるのは、人間の生物的側面からしてみれば

当然のことであり、生物的欲求の正当な判断結果であります。

 

しかし、そうしたことを「嬉しい、ありがたい、楽しい」と捉えることもできます。

 

そして、この時、

本来、肉体であれば不快に感じるものを幸せに感じることができた時、

あなたの認識というフィルターは「三次元」を超えていると見なすことができます。

 

三次元とは、生物的本能が満たされる次元のことを言います。

 

そして今回、私がお伝えしたいことは、

「幸せ(=嬉しい、ありがたい、楽しい)は四次元(認識上)の出力結果であり、

快・不快(=生物的本能)の出力結果に依存しない」

ということです。

 

例えば、「部活をめちゃくちゃ頑張った」だとか「受験勉強やり切った」のように

すごく努力した時期などありませんでしたか?

 

そして、それらは今となっては「大切な思い出・幸せな思い出」に

なっていないでしょうか。

 

部活でたくさん走るだとか、猛勉強をするだとか

そうした体にとって「不快」に感じるようなことであっても、

認識としては「幸せ」と思うこともあるのです。

 

つまり、

「幸せ((嬉しい、ありがとう、楽しい)=四次元)は

三次元の快・不快(面倒臭い、辛い、キツい)に 依存しない」ということです。

 

そして、たとえ現象としては「不快」なものであったとしても、

その人が「幸せ」と感じ続けて生活をすることができたら、

人は「幸せ」と感じながら生活をしていくことができるのです。

 

一人でも多くの人が、明日をより楽しく、幸せに生きることができますように。

 

以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。